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 2015年3月「会長のつぶやき」


  透析患者であること・・・
 岐阜県内にいる約4,700人の私たち透析患者は、一人一人がさまざまな原疾患で透析導入しています。医師から「明日から透析です」と宣告された時、誰もが少なからずショックを受け、「自分の人生はこれで終わった」、「お先真っ暗」等、悲しい思いと落胆の気持ちが交錯しましたね。
   一生 治癒しない病(慢性腎不全)
 私たち透析患者は、一日おきに年間156日、天気に関係なく、何があっても透析をしなければ死んでしまいます。場合によっては、肉親や友人の葬儀にも出られないこともあります。また普通の病は治療するために薬を飲み、通院しますが、私たちの病は、移植しない限り死ぬまで治りません。ここが他の病と慢性腎不全の決定的な違いです。
 よく他の患者から「透析患者はいいですね。医療費が無料で・・・」といわれたことはありませんか?
そんな時、私は少しむっとしながら、次のように語ります。
 「無料なのは、国が最初から与えてくれた制度ではありませんよ。透析患者の先輩たちが厚生省と何度もかけあって、命と引き換えに勝ち取った成果なんですから。どんな難病でも成果を得るには、患者・家族が団結して闘ってこそのものです」と。
 透析生活は、4〜5時間の透析の後、倦怠感はあるものの、元気に日常生活が送れます。これは世界に冠たる日本の透析医療のおかげですね。しかも透析医療費、薬剤費も一銭も払わなくてもいい。それどころか例えば風邪を引いても、歯医者にかかっても治療費も薬代も支払わなくてもいいのです。ほかの患者のみなさんは1割〜3割支払っておられるのに、私たち透析患者は、診療明細書のみが渡されて、お金は不要。このことに私のみならず多くの透析患者のみなさんが、「なぜ透析患者は?」と不思議に思われたことでしょう。これには風化させてはいけない歴史があるからです。この歴史を知るにつけ私は透析患者の先達に感謝してもしきれない気持ちになります。
   悲しい歴史・・・
 1967年以前は、一か月の透析治療費約30〜40万円が全額自己負担でした。サラリーマンの平均年収が10万円くらいの時代です。資産家しか透析できず、多くの庶民は自分の山、田畑、資産(自宅を売って引越すなど)を投げ打ったり、離婚したりして透析しました。透析できた人はまだいいほうで、お金がなくて透析できなかった多くの患者は死を待つしかなかったそうです。このような悲しい話は全国で相次ぎ社会問題になりました。
 1967年になって、それまでは全額自己負担だったのが、やっと透析医療が医療保険の対象になって、会社員や公務員本人は自己負担ゼロになりましたが、それはほんの一部の人で、国民健康保険は3割、会社員の家族は5割負担でした。それでもこの時代の治療費は、10万円から12万円かかり、支払える人はわずかで、お金が払えず透析できずに多くの人が亡くなっていきました。まさに「金の切れ目が命の切れ目」でした。しかも1971年当時は全国の透析患者5,000人に対して人工腎臓(ダイアライザー)が1,575台と、圧倒的に台数が少なく、透析をしてもらえる人が少なく、患者が選択され、透析できたのは働き盛りの男性が優先されました。
   患者会結成、そして命がけの闘い・・
 こうした悲惨な状況の中、1971年から72年にかけて全国各県に腎友会が結成され、そのまとめ役として全国腎臓病患者連絡協議会(現在の一般社団全国腎臓病協議会=全腎協)も結成され、同時に運動が始まりました。 当時の全腎協がかかげた要求項目は以下の4つでした。
1 人工透析費用を全額国庫負担にする
2 透析患者を身体障害者として認定する
3 全国各地に腎センターを設置する
4 長期療養者の治療費などを保証する
 当時の全腎協の役員は、極度の貧血状態でありながらも、透析導入を先送りにしてまでも自分の命を活動にささげ、連日厚生省や大蔵省に陳情と要請行動を行いました。当時の大蔵省が腎疾患対策予算を削ると、交渉で、「あなた方がソロバン玉を一つ減らすだけで、どれだけの患者を殺しているかわかっているんですか!」と迫る行動を続けた結果、ついに1972年10月身体障害者福祉法にもとづき人工透析に更生医療(育成医療)が適用されることとなりました。
 こうした運動の成果で、4つの要求項目はほぼ実現し、大幅に患者の自己負担は軽減され、貧富や年齢、性別に関係なく「誰でも、いつでも、どこでも」透析を受けられるようになりました。
  安心して透析できるのは患者会先達の犠牲と医療関係者のおかげ
 現在、腕を出せば当たり前のように透析ができ、医療費も無料で安心して透析ができるようになった裏には、前述したような悲しい歴史にもとづいた命を懸けた闘いと医療関係者の協力があることを決して忘れてはいけないと思います。と同時に患者会の先達が死をかけて運動した結果、現在があることに、またその先達の役員のみなさんの多くが実現した諸制度の恩恵を受けることなく亡くなったという事実に対して、どれだけ感謝をしてもしきれませんね。
 その意味で、過去の運動の成果(恩恵)を後退させることなく、継続させるため、また、まだまだ解決しなければならない諸問題解決のために、すべての透析患者が患者会に入会して、自分のためにも、みんなのためにも力を合わせて運動を進めていく必要がありますね。


                       NPO岐腎協会長 大矢正明


   
おおや まさあき
昭和22年生まれ(68歳)。昭和44年に公立高校教諭として奉職。
50歳で透析導入し18年目。小林前々会長の時、事務局長。
大橋前会長の時、副会長。
同会長逝去に伴い会長代行を経て現職。